ACT.5




























「何それ。おかしいじゃん。それはあなたが悪いっしょ。」
 アリスの一言で、一瞬世界が凍った。
雷の指名客にアリスがヘルプで入った時の出来事だった。彼氏の愚痴を話していた客・エリコに向かってのアリスの『失言』。
「何この子..」と、客のオンナは眉をひそめる。
焦った雷はすぐに「すみません!こいつ新人なんで!」とフォローを入れる。
オンナは、「いくら新人でもさぁ」と、つぶやくとアリスをにらみつける。
「この子やだ、ヘルプさぁ他の子にチェンジして?」
 険悪な雰囲気は断ち切れなかった。アリスをはずし、他のホストをヘルプにつけたが、オンナはムスっとした顔のままだ。雷は体全身から冷や水が流れ出ていることに自分で気がついた。その時、背後からカオルが顔をのぞかせる。
「ああ、エリコちゃんめっちゃ久しぶりやん!元気してた?」
「カオル!聞いてよもぉー!!」
 エリコはカオルに顔を近づける。うんうん、とうなずきながら、時折笑顔を見せるカオル。一瞬にして場の雰囲気を読み込み、フォローすることができる。さすがカオルだ。
 お前の才能には舌をまくよ。雷は心の中でうなずく。
「また、お前に助けられたな」
 小さな声でつぶやくと、カオルは笑い、同じように小さくつぶやいた。
「高くつくで」

アリスのホストデビュー戦、初ヘルプは、エリコの機嫌をそこね、一瞬にして終了。
雷は、店内にいたアリスを従業員トイレの前に呼び出し怒鳴りつけた。
「お前さっきの接客はなーんだ!!あんなこと続けてると指名とれるどころかクビだぞ!!お客さんに対してなんだあの言い方は!!!!」
静かなバックルームに雷の声が響く。
「うっるさいなぁ」
 そして、小さな声でうっとおしいな、と付け足した。
「うるさい!?うっとおしい!?大体お前、その態度がな」
「もぉーいいじゃんっカオルちゃんのおかげでどうにかなったんだからさぁ」
「いいってお前カオルちゃんってお前..」
 どこから注意したらいいのかもわからなくなってくる。大先輩でNo1のカオルに向かって新人ホストがカオルちゃん呼ばわり。助けてもらったというのに感謝の一言もない。注意する言葉にも詰まってしまう。
「だーから次から気をつけるよー。」
 アリスは怒り心頭する雷に舌を出し、スキップしながらバックルームを去る。
怒りを通り越してあきれてきた。新人教育を何人もしてきたが、あそこまで..何というか、神経がずぶといというか無神経というか礼儀がないというか、そんな奴は初めてだ。
俺が店長ならあんな奴即クビだ、と、雷は心底そう思った。
大体あいつはホストって仕事を何だと思っているのだろう?部活の延長だなんて思っていないだろうな。
毎晩嘔吐する彩人はNo1に上り詰めたいがためだけに生きてるっていったって過言じゃない。カオルはいつも笑顔ではぐらかすけど、あいつにも何か大きな夢だとか目標があるからこの世界にいるからで。
そんな二人のパワーで今、この店はいい方向へむかってきてる。店自体もどんどん有名になってきてる。本気になった奴が一番強いんだ。
楽に稼げるからホスト、女にチヤホヤされたいからホスト。
そういう目標で入店するのありだろう。新人の半分以上がそんな奴だ。だけど、実際入店したからにはがんばってもらわないことには困る。限界まで、がんばってもらわなくちゃ、困る。
俺たちはプロなんだから。
アリスはそれをわかっているのだろうか?
「雷は毎回、深刻に考えすぎるじゃねぇ?新人を教えたってどぉせやめんだし。時間のムダ、ムダ。アリスだってどうせすぐやめるだろ。適当に教えときゃいいんだよ。そんな事よか自分の客、増やすこと考えた方がよっぽど自分のためになるよ。」
 2日前くらいに、同僚ホストにそういわれた。その言葉が何だか無性にやるせなかった。
季節が変わって、散り遅れた花みたいに。
今まで何人の新人を教えてきただろう。そして何人辞めていっただろう。
 多分、数え切れない。
全て時間の無駄だったのか?適当に教えておけばよかったのか?
そんなのいくらだって手を抜いて教えられるけど、そんなことしたって何の特になるのだろう。
 何だか自分のホストとしての価値を落とす気がするよ。
教えることは自己満足なのか?
人に教えるってことは少しだけだけど、教えた!っていう、自分の自己満足だって関わってくるんじゃないかなって、俺は思うんだ。
新人と一緒に、俺も少しでいいから成長していきたいんだよ。
「そういえば、俺を教えてくれたの、雷さんでしたよね。」
 顔を上げると、彩人が立っていた。アリスとのやりとりを見ていたのだろうか?
バックヤードに一人座りこむ俺の横に、彩人も腰を下ろす。
彩人は多分、吐いた後だろう。顔色がよくない。
それでも、こいつは、この後、また飲むのだ。飲んで飲んで、もどしてもどしてまた飲んで。
「そうだったな。俺としてはありがたい。お前は俺が教えた中で一番の成長株だ、悔しいけどな。あと、東吾もかな。あいつも、あそこまで売れるとは、思ってなかったからな」そう笑うと、彩人はいやいや、と少し微笑む。
「俺ね、新人の頃、雷さんに教えてもらって、ほんとによかったと思ってますよ。」
「何いってんだ、いきなり。」
驚く俺を見ながら、彩人は、いや真剣な話で、とつぶやく。
「今思えば、何もわかんなくって不安で、ただカオルさんになりたいってそれだけで入店して,,酒の知識もないし、酒も駄目、人と会話もうまくできないし。色々、助けてくれたの、雷さんでしたよね。俺、きっと雷さんじゃなかったら辞めてた。雷さんが、俺の、この何だろう、ホストとしての根っこ、作ってくれたんですよね。アリスも、そういう気持ち、いつかわかりますよ。きっと、俺みたいにちょっと年くってからだろうけど。雷さんは寛大な人だっなって。だって俺、もう、教える立場なのに自分のことでいっぱいいっぱいで。教えようなんて気持ち、なれないですよ。」
彩人の言葉に、体中が熱くなる。
俺だっていっぱいいっぱいだよ、だけど、いっぱいいっぱいになりながらも教えるんだよ。
すごく嬉しかった。彩人の言葉が。不器用な口調で必死に、俺に元気を与えようとしてくれる。俺は間違ってなかったのかな。
こうして教えた後輩ホストが今、逆にこうして教えてくれてるんじゃないか。
 人のために教えるんじゃない 自分が教えたいから教える それは自己満足かもしれないけど
それで感謝されたら それはきっと それはすごく..
 「おい、アリス!」
 俺は店内に戻るとすぐにアリスをつかまえる。
「また説教?」
 うんざりしたような顔でアリスは雷を見る。
「そうだよ。お前には一流のホストになってもらわなきゃ、困るからな。」
「何それ」
「とーにかくキャッチ、行ってこい!」
 一応、この年になっても夢はたくさんある。
例えばもっとたくさんのお客さんと触れ合いたいだとか、自分の店を持ちたいだとか。
だけど一番の夢は、今、この店で。
 彩人や東吾に続く新人ホストを教育して、プロにするんだ。それで、一緒に。
一緒に、働いていきたいって。







 吸って捨てて、また火をつけて、吸って、また捨てて。
店内にいる時、東吾の手からタバコの火が消える事はないと思う。
それくらい、ヘビーに吸い続ける東吾は、もちろんこの店で一番のタバコ愛好家。
何に対しても執着しない東吾の、唯一依存しているものがタバコ。
後にも先にも、東吾はタバコ以上に執着できるものなんて見つからないんじゃないか?
そんな話をしたことがあった。すると東吾は「そうだな」とつぶやいた。
 今日も相変わらず、東吾はOPEN前の店内でソファにもたれかかり、無表情でタバコを吸っている。
「おはよ」
 俺が顔をのぞかせると、アヤ今日は早いな、と、東吾がつぶやく。
「お前、今日大学だった?」
「ああ」
 東吾の横に座り、東吾に便乗されるかのように、俺もタバコに火をつける。煙が店内に充満する。ああ、今日も一日が始まる。タバコの火をつけた瞬間、そんな気分になる。
昨日の酒がまだ体に残ってる。今日はどれだけ頑張れるかな。
ーあ、薬を飲まなくちゃいけなかった。
俺は急いで、タバコを灰皿に押し付ける。
そしてポケットから薬を取り出す。これは俺にとっての「救い」だ。
「それ、薬か?」
 『薬』に東吾が興味を示す。そして顔を近づけ、俺が手に持つ薬をまじまじと見つめる。
「医者に処方してもらったんだ。これで、体が少しはマシになるんだ。気持ちだけだけど。」
 水がいるな、そう思いソファから立とうとした瞬間、アリスがしぶい顔をしてやってくる。
黒いスーツからはまだ「あどけなさ」が残っていて、「ホストというより、ホストのコスプレをした高校生。まぁこれからだ。」と、原田代表が苦笑していたのを思い出した。
確かにアリスには、まだあまりスーツは似合わない気がする。
「不思議な事に、色々経験して、色々学んでいくうちに、ホストとしての自信がついて、スーツも似合うようになってくるんだよ。」とも言っていたな。
なら、アリスにスーツが似合うようになるのは、いつになるだろう?
俺はもう自信もってスーツを着ているのだろうか?
何にせよ、考え出したらとまらなくなるこの性格が、時々すごく鬱陶しくて仕方なくなるよ。
「もーけむいーけむーいーっ」
 甲高い声を出しながらアリスが手で煙をはらう。
「原田代表―っ店内禁煙にしようよーっ」
「殺す気か」
 アリスの言葉にすかさず東吾が反応する。アリスは「だってもーけむいーっ!けーむーい!」と、また、ひとりで騒ぎ始める。確かに全面禁煙になったら東吾は死ぬ気がする。
「まったお前は!!こら!!うるさい!!」
 原田代表と店の売り上げや経営状態を会議していた雷さんが、店内で叫びまわるアリスを見つけ、うなるように叫ぶ。
「もーオヤジのがうっさいじゃん!!」
「オヤジ!!???おっお前、もう一回いってみろ!!!」
 血相をかえた雷さんがアリスに近づいていく。
「何度だっていったげるよーっオヤジオヤジオヤジ!!!オヤジ!!!」
 もう日常茶飯事であるこの光景。まるで兄弟喧嘩だ。 
「俺には親子喧嘩に見えるが」
東吾がつぶやく。その言葉に俺は笑いをこらえる。
「アリス、タバコ嫌いなんだ?」
 だとすれば、かなり以外だ。ホスト=タバコを吸う、なんて考えて形から入りそうなタイプなのに。
口論を終えたアリスが、俺の言葉に振り返る。
「だいっきらい」
 アリスは無表情でつぶやいた。
そんなに嫌いなのか。その表情から、俺は一瞬にしてアリスが、東吾が手にもつタバコへ、冷ややかな視線を送ったのがわかった。
それに気がついたのか、気がついていないのか、タバコが嫌いなんてかわいそうな奴だ、と、小さく東吾がつぶやく。東吾からすればそうなんだろうな。タバコを吸わないなんて信じられないんだろう。けむいと騒ぎまわるアリスなど眼中にないのだろう、東吾は吸い続ける。
「だからってタバコ吸ってるお客さんにイヤな顔するなお前は一応、ここ、強調だ、一応、ホストなんだからな」
「うーるさいなぁもーっ!!僕が若いからってひがむのはやめてくれない?オヤジ!ライオヤジ!略してライオ!」
「はああああ!!!!???」
 雷さんとアリスの口論がまた始まる。そして、いつの間にか店内に現れていたカオルさんが、「やれやれー」と、笑いながら二人をあおりだす。
「あおり行為は犯罪」
 東吾がつぶやくと、カオルさんは「そうなん!俺、捕まるやん!逃げとかな!トイレいっとこ!」と言いながら、店の奥へと消えていった。
 その背中をボーッと見つめていると、ハッと現実に戻る。
―そうだ、俺は薬を飲みに水をとりにいこうとしてたんだ
 立つのもめんどくさいな。俺は、目の前で口論を続けるアリスに声をかける。
「アリス、悪いんだけどさ、立ってるついでに水、とってきてくんない?」
「水?うん、わかったー」
 ブーブー文句をいいだすかと思ったが、以外なほど素直にアリスは俺の頼みに応じてくれた。「お前まだ話は終わってないぞ!」と雷さんはアリスに叫んだが、アリスはまるで無視だった。
ああ、それでか。
多分、雷さんの説教の場から抜けられる、と、思い快く動いてくれたのだろう。妙に納得する。
「はいはい水水―!」
 アリスが片手にドでかいグラスを持ち、小走りでやってくる。
「オヤジ邪魔―っ」
オヤジ、と、何度も連呼され、またもオヤジ、と言われ、怒りがおさまらない様子の雷さんは、「おいお前」とグラスを持ったアリスの右腕を引っ張る。
「あっ」
 アリスの声がもれる。
雷さんがアリスの腕を引っ張った瞬間、水の入ったグラスがアリスの左腕に、勢いよくこぼれだす。
「もーっ!!!!!つめたい!!!!!オヤジ、ほんっとウザイ!!」
「ああ!!??お前、第一水入れすぎだろ!!」
 「逆ギレ」する雷さんをにらみつけ、アリスはスーツの袖を豪快にめくりあげる。
確かに雷さんが悪い気がする。水、自分でとりに行くのが一番早かったな..俺はまた二人が口論を始めるだろう、と、思い、席を立とうとした瞬間、雷さんの動きがとまる。
アリスの腕をつかみ、雷さんが言葉につまる。
「お前、なにそれ」
 雷さんの異様な雰囲気に、俺と東吾もアリスの腕に視線を寄せる。
めくりあげた袖から見えた、アリスの白くて細い腕には、無数の火傷があった。
遠目から見てもわかるくらいに、だ。
雷さんはその腕を見た瞬間『一時停止』状態になる。
その火傷の酷さは、目をふさぎたくなる程だった。まるで皮膚に穴が開いているかのようだ。
「何でもないよっ」
「何でもないわけないだろ、それ、何だ、火傷か?」
 雷さんはアリスの腕から手を離さない。
雷さんの視線は、悲惨すぎる腕の火傷の跡に集中する。
「うるさいオヤジ!はなせー!…離してってば。ほんと、痛いんだよ」
 声が小さくなった瞬間、雷さんはアリスの腕から手を離す。
かすかにアリスの声が、そして体が震えている気がした。
同時にアリスは「あやくん、新しい水とってくる」と、俺たちに背中を向けた。
「何だあの火傷..ひどすぎる。タバコの火を押し付けたようなやつか?そういえばいつは、タバコ、嫌いだったよな。だとすれば話はつながるし..」
 呆然と立ち尽くす雷さん。俺もそれにつられるようにして、呆然とした。
あのアリスがあんな小さな声で。一瞬だ。
たった一瞬だけど、まるで何かに怯えている子供のような顔をしたんだ。
 あんなアリス始めてみた。別人のようだった。
「あいつ、何か悩んでることとか、あるのかもしれない。あの火傷..普通じゃない。とにかく、アリスと話をしなくちゃな。」
 冷静になった雷さんが自分に言い聞かせるかのように、何度もうなずく。
それに水をさすかのように、東吾が低い声でつぶやく。
「話はしない方がいい」
「なんでだよ」
 雷さんの口調が強くなる。珍しいな、東吾が意見するなんて。
俺は、無表情で続ける東吾を横目で見る。
「誰にだって話したくないことのひとつやふたつ、いや、みっつはあるだろう。」 
「だけど話をしなくちゃわからない事だって、あるだろ?悩んでいるなら、話を聞くだけでも本人は楽になるんだろうし。それで少しは助かれば..」
 雷さんが言葉を続けようとすると、それをさえぎるかのように東吾はつぶやいた。
「話したくないことを無理に聞き出す。それは本人からすれば助けではない。悪趣味にすぎない。」
 何となくだ。何となくだけど。かすかに、かすかにだけど。
初めて東吾の言葉から『怒り』を感じた。無表情の顔の中に隠された、怒りの感情が見えた。
雷さんもそれを察してか、黙り込んでしまった。
東吾は無表情のままだ。
煙だけが店内には充満して、何だか重い雰囲気が流れる。
東吾が新しいタバコに火をつけた瞬間だった。
「水、おそくなってごめんー!」
「ああ、ありがとう」
 何事もなかったかのように、アリスが笑顔で現れる。横にはカオルさんがいた。
自然と視線がスーツの袖に向かってしまう。
何処でアリスの火傷を見たのだろうか?カオルさんは重い雰囲気の店内を一瞬で察し、声をあげる。
「なんやねんオープン前からこの雰囲気はーもっとみんなあげてかなー!」
 カオルさんの声で目覚めたのか、雷さんは「そうだそうだ」と、同じように声をあげた。
「今日こそ指名とらなきゃー」アリスがいつものように、わめきだす。何だか、いつものアリスが戻ってきたみたいで、少し安心した。きっと雷さんもそうなんだろうな。
だけど東吾。俺は気がついてしまったんだ。
いつもなら ある程度吸うまで 消すことのないタバコを
アリスがもどってきた瞬間 ライターで火がともったその瞬間 口につけることなく 
灰皿に押し付けたのを
 東吾って言葉にも出さないし 表情にも出さないし 誰も気がつかないのかもしれないけれど
お前は少なくとも俺より人間味があるのかもしれないよ
やっばいよ 東吾 お前 すげぇ かっこいい

薬はやっぱり、気持ちにしかすぎない。
 その日も体が悲鳴をあげた。だけど、悲鳴をあげたのがいつもより早すぎた。OPENして、1時間半だった。2万円のシャンパンを二口、口にした瞬間。俺は客に「ちょっとごめん」と声をかけ、席を立った。
俺のカバーには、雷さんが回ってくれた。席を立つ瞬間、雷さんは無言で「無理するな」と言わんばかりに、背中を軽く叩かれる。
 その横で、カオルさんの客・ユキさんが、13万のシャンパンを空け、毎度おなじみの派手なシャンパンコールがかかる。「毎度ありがとーユキちゃんに感謝して。氷咲カオル、いただきます!」と、カオルさんの声が響いた。
カオルさんの声で、俺の中にある「焦り」がまた目を覚ます。どうして俺の体はこうなんだ。
何度もそう繰り返すしかなかった。俺は逃げるようにしてトイレへ急いだ。
 トイレのドアを勢いよくあけると、その瞬間にドアも閉めずに吐く。何度も、何度も吐く。
どうしてだろう。日に日に体が酒に弱くなっていってる気がする。
このままじゃダメだ。
 今が大切な時期なのに。今が。いや、これからが。No1になるまで、この体を酷使するんだ。
ある程度嘔吐を終えると、俺は5分程だろうか、トイレの前から動けなくなった。
背中に視線を感じ、振り返る。
「アリスいつの間に」
 振り返るとアリスが立っていた。
「水、持っていった意味なかったみたいだね。」
「ハハ。悪かったな。お前トイレ使うの?ごめんな長く居座って。」
 笑うのですら今は苦しい。立つことですらフラフラするくらいだ。
自分が何を話しているか、ちゃんと言葉になっているか、それすらわからない。
トイレに座り込む俺を、見下ろし、アリスは真剣な顔をして、つぶやいた。
「あやさん。あやさんは、本当にすごいね。僕、あやさんが酒に弱いってことはオヤジとかから聞いてたけど、こんなに、ここまで吐き続けてるなんて知らなかった。体..つぶしてまで、そんな風になっても飲み続けるんだ。そんな風に吐き続けても、ホストを続けるんだ。」
 俺は座り込んだまま、うなずく。うなずくだけで精一杯だった。
2,3分だろうか、沈黙が流れる。アリスは「そうだ」と、小さな声を出すと、一瞬、どこかに消えて、すぐに俺の目の前に戻ってくる。
片手に水の入ったグラスを持って。
「ありがと。今日二度目だな。お前に水、持ってきてもらうの」
「僕をパシれるなんてありがたいと思ってよねっ」
 水を飲むと呼吸の乱れが落ち着いた気がした。
「ねぇあやさん、ホストしてること、親は知ってるの?」
 唐突な質問だった。俺はうなずく。
「知ってるよ。あきれてるけどね。母親には、あんたは酒で死ぬことになりそうね、って言われてる。父親は、金できたら車買ってくれ、とかパソコン買ってくれとか、まぁおもしろいよ。」
 母親の話を他人にしたのなんて、久しぶりだ。そういえば最近顔も見てないし連絡もとってないな。ホストになってから実家にも一度も帰ってない。
 親不孝かな。全部捨てて、今の仕事に全て捧げて。振り返る時間なんてなかった。
今も昔も、がむしゃらに、No1になるために、それだけを頭に駆け抜けて。
毎日夜になれば駅ですれ違う帰宅ラッシュする人達の流れを逆送し、出勤する。
夏から秋へ、秋から冬へ、季節が変わってく事すら、気がつかなくなってしまった。
「心配してないんだ」
「っていうか、何だろう。心配、通り越したみたいだな。母親には、あんたはやめろっていったって絶対聞かないでしょ、って。酒飲めるまで飲んで、ブっ倒れて死ぬのがあんたの幸せならお母さんは別に、どうこういうつもりはないって。だけどお母さんより先に死んだら恨むわ、とは言ってたな」
「なんかおもしろい。いいお母さんじゃん。」
 アリスが笑う。アリスは笑うと、普段、雷さんに楯突いてる姿が想像つかないくらい、素直に見える。そして少し黙り込むと、声を小さくしてつぶやいた。
「僕、あやさんのお母さんと出会いたかったな」
 俺はハッとした。さっきと同じだ。アリスが同じ顔をした。
たった一瞬だけど、幼い顔で、何かに怯えているような、そんな顔。
何言ってるんだよ、お前んとこはどうなんだ、と、訪ねると、アリスは無表情でつぶやいた。
「母親も父親も大嫌いだよ。」
「大嫌いって」
 顔を見上げると、アリスはまた、小さくつぶやいた。
「親子ったって人間だもん。子供も親も、お互い好き嫌いあって、当然なんじゃない。」
 こどもも おやも おたがい すききらいあって とうぜん なんじゃない
アリスの放った言葉は、悲鳴に聞こえた。無意識のうちにだろう、アリスは自分の腕を押さえていた。火傷。親は嫌い。タバコは嫌い。何だか全てが繋がった気がした。
話したくないことを無理に聞き出すのは 助けではない 悪趣味だ
 東吾の言葉が蘇る。確かに、そうかもしれない。
このアリスが自分のことを自然に話しだす、なんて考えられないけど、今は何も聞かない方がいいのかもしれない。俺たちが思うよりも、アリスの傷は深いはずだから。
「おい、あやちゃん、いつまでへたばっとんねーん、はい、カムバック!」
 その瞬間、勢いよくカオルさんがトイレに入ってくる。
「あっはい、今からいきます」
「はよ来たってやー。」
 親からの愛情なんてすぐ傍にあるものだと思ってた
求めれば すぐにその愛情を 感じられた
 アリスは違うようだ アリスだって何度も求めたはずだ 
だけど




<続>

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